酉の初刻。
村の巡回を無事終えた幻洛は、万華鏡神社の屋敷に向かうため帰路についていた。
「…ん?」
日暮れを迎えつつも賑わいは変わらない村の商店街の一角にて、見慣れた藤色頭の妖狐が幻洛の目に写った。
何か買いたい物でもあるのだろうか、しかし一向に買う素振りは無く、ただひたすら目の前にある和菓子屋の外で立て看板を眺めていた。
「ふゆは。」
幻洛の呼び声に、その妖狐は狐耳をピコと動かし振り向いた。
「あら、幻洛。…巡回は終わったの?」
透き通ったその声の持ち主は、数百年以上共に暮らす、万華鏡神社の巫女である純血の妖狐、ふゆはだ。
幻洛のツガイである伊丹の愛弟子であり、血の繋がりは無いが伊丹の娘のような存在である。
「まあな。…しかしどうしたんだ、こんなところで。」
幻洛は改めて、和菓子屋の前で棒立ちしていたふゆはに疑問を投げた。
「ただの買い物よ。伊丹の用事でね。」
「伊丹の用事なのか?なら、いつも通りあいつの式神に任せておけばいいだろ。」
生まれつき、ふゆはは亡き母親譲りの病弱だ。
故に、村への買い出しはいつも伊丹の式神たちや劍咲が担っている。
「今日は私が頼んで行かせてもらったのよ。たまには村に出て気分転換もしたかったし、それに、…色々と欲しい物もあったから…。」
最後の言葉は少々口籠りながらも、ふゆははチラリと目前の和菓子屋に視線を向けた。
「そうか。」
幻洛もまた、ふゆはの視線の先にある和菓子屋に目を向けた。
店にずらりと並ぶ数々の和菓子は、いかにも和菓子好きなふゆはを虜にしそうなものばかりだった。
幻洛は再びふゆはに視線を落とす。
「で、伊丹の用事と欲しい物とやらは買えたのか?」
幻洛の問いに、ふゆはは少し困ったように狐耳を下げた。
「…伊丹の用事は済んだのだけれど…、…正直、所持金が少なくなってしまったから…。」
ちょっと買えないかも、って…。
その言葉がふゆはの口から発言されなくとも、幻洛はふゆはが店の前で立ち尽くしていた理由を察した。
「なんだ、そんなことか。」
幻洛はフッと笑みを向け、和菓子屋へと歩みを進めた。
「ほら、ついて来い。俺が出してやる。」
「えっ…!で、でも…、」
「いつも伊丹の手伝いをしているんだろ?褒美だ。」
幻洛は困惑するふゆはの頭にポンと手を添え優しく撫でた。
「…あ、ありがと…。」
子供をあやすような素振りに少々不服さを感じながらも、ふゆはは幻洛の好意を純粋に喜んだ。
相変わらず、素直に喜びを表現することに苦手意識を感じてしまうふゆはは、そのまま幻洛の後を追い和菓子屋へと入っていった。
………
「さて、好きなものを選ぶといい。」
「!」
目の前にずらりと並ぶ色鮮やかな和菓子たちに、ふゆははキラキラと目を輝かせた。
「ああ、ただし度は過ぎんようにな。」
今にも飛びつきそうなふゆはに、幻洛は釘を差した。
「…わかったわ、ええと、じゃあ…、」
ふゆははなんとか正気を保ちながら、目の前の和菓子を次々と吟味していった。
「見て見て!万華鏡神社の幻洛様よ♡」
「え、え、やばっ♡超かっこいい♡背高~い♡」
和菓子を吟味している最中、ふゆはの耳は小さな歓喜の声を拾った。
その声の主は、この和菓子屋を営む村娘たちだった。
小声で歓喜を上げる二人の村娘は店の奥におり、幸いにも騒がしくなることはなかった。
「…。」
ふゆははチラリと幻洛に視線を向けた。
しかし、当の本人には聞こえていないのか、幻洛は他の和菓子をゆっくりと眺めていた。
………
買い物を終えた幻洛とふゆはは、店を後にし帰路についていた。
「あのな、10個は普通に買い過ぎだと思うぞ。」
幻洛はふゆはが抱えている数々の和菓子が入った小包に目線を送った。
昔からふゆはの和菓子好きは知っていたが、これほど買い込むとは想定外だった。
「好きなのを選んでいいって言うから…。」
これでも抑えたほうなのと言わんばかりに、ふゆはは小包をギュッと抱え直した。
特段、幻洛に呆れたという気持ちは無かった。
それよりも、好きなものを手に入れて心が高揚しているふゆはの姿が、不思議と純粋に愛おしく見えていた。
とはいえ、と思いながら幻洛は軽くため息をついた。
「度は過ぎんようになと言っただろ。」
「一応、みんなの分を…。」
「だいたい和菓子は日持ちがしないんだぞ。」
「すぐ食べるから…。」
すぐ食べるって、それはふゆはの感覚だろうに。
埒が開かないやりとりに、幻洛は参ったと言わんばかりに自らの頭をガシガシと掻いた。
「それを食いしん坊と言うんだ…、あ?」
「え、何、」
幻洛はピタリと足を止めると、財布にジャラリと収めようとしていた小銭を見た。
「さっきの店で釣り銭を貰いすぎてるな…。」
「あら…。」
幻洛は軽く顔を顰め、収めかけていた釣り銭を再び手のひらで握りしめた。
「電光石火で返してくる。そこの縁台で座って待ってろ。」
「え、ええ…。」
既に日も暮れ、周囲は暗闇に包まれ始めている。
このままふゆはを一人で帰すわけにはいかない。
幻洛はふゆはに背を向けると、黒い服を靡かせながら足早に和菓子屋の方面へ戻っていった。
取り残されたふゆはは言いつけどおり商店街の縁台に座り、和菓子屋へ入っていく幻洛の姿を見送った。
ふゆはは先程の和菓子屋での出来事を思い返した。
…さっきの店員のお姉さんたち、幻洛に釘付けだったわね…。
釣り銭が多かったのも、そういう事かしら。
無自覚かもしれないけれど、幻洛って結構モテるから…。
こういう件は今に始まったことではない。
幻洛は高身長で体格も良い。
目付きは少々悪いが、顔つき自体はかなり整っている方だ。
おそらくその外見だけで彼に一目惚れする者は勿論、あの重低音の声を聞けば心が揺らぐ者も多いだろう。
…それに、普通に良い人だし…。
ふゆはは心の中でポツリと呟いた。
かと言って、ふゆはからすると、不思議とそういう対象には見えなかった。
自分が既にナギと恋仲であるにしろ、それ以前から、本能的に違うと感じていた。
むしろ、遠い記憶の彼方に存在していた、自らの父に近しい感覚でーーー
「あれ?君って万華鏡神社の巫女さんじゃない?」
「え…、」
突然の呼びかけに、ふゆはの思考は遮られる。
「わあ、ホントだ!こんな近くで見れるなんて!」
「今日は一人なの?珍しいね。」
いつの間にか、ふゆはの目の前には見知らぬ若い男が3人立っていた。
一歩村に出ればこういうことが起こることはふゆはも想定していた。
故に、こちらに向かって物珍しそうに何かを話している男たちなど、ふゆはにとっては心底どうでもよかった。
ああ、もうめんどくさい…ここから離れたいけれど、幻洛に待ってるように言われたし…。
鬱陶しそうなふゆはに対し、男たちはお構いなく詰め寄った。
「ね!ね!君っていつもどんな生活してるの?」
「滅茶苦茶気になる!」
「そこの店でちょっとお茶でも飲んで行かない?」
怒涛の質問攻めに、ふゆはは軽くため息をついた。
とにかく、なんとか受け流さなければ。
「あの、私…待ち人がいるから…、」
「大丈夫だって!すぐだから!」
「いや、だから…」
「っていうか、初めて声聞いた!」
「あの…、」
「すごく可愛いね!」
暖簾に腕押し状態とはまさにこのことだろう。
ふゆはの言い分など全く聞いていない男たちは容赦なく距離を縮めてきた。
…もう、術でも使って追い払おうかしら…。
でも村民に術を使うのはダメって伊丹から言われているし…どうしよう…。
この状況をどう打壊すべきか。
流石のふゆはも、若干の焦りを感じていた。
「おい。」
聞き慣れたその重低音の声に、ふゆははハッと顔を上げた。
「俺のツレに、なんか用か。」
「あ、幻洛…。」
ふゆはの目線の先には、極悪人の面のような幻洛が立っていた。
そんな幻洛の声に、一歩遅れて男たちも振り返る。
「あ?何だよおっさ…ん”!?」
その男は言葉を失い、
「でけえ…」
その男は思考が停止し、
「げえっ!コイツって…!」
その男はどこかの大将軍を目の当たりにしたかの如く顔面蒼白となっていた。
「こ、この村を警護してる万華鏡神社のヤツじゃねぇか…!!」
男の1人は怯えながら震え声を漏らした。
「さっさと失せろ。話が通じないならばその使えない頭をカチ割ってやろうか。」
「「「すみませんでしたさよならー!!!」」」
幻洛が脅し文句を言い終わると同時に、男たちは一斉にその場から散り去っていった。
はたから見ると村を守る者とは到底思えないドス黒い圧力である。
「ったく…。」
一件を終え、幻洛はやれやれとため息をついた。
「平気か?」
「え、えぇ…大丈夫、ありがとう…。」
心配そうに顔を覗き込む幻洛に、ふゆはは自然と、素直に礼を言った。
「…すまん、電光石火ができなかった。」
和菓子屋の村娘たちを相手に相当気疲れしたのだろう。
幻洛はふゆはが座る縁台にそっと腰を下ろした。
「いえ、気にしないで。…きっとあの店員のお姉さんたちに捕まってると思ってたから。」
ふゆはは幻洛の気持ちを察するように宥めた。
「…。」
幻洛は一点を見つめながら暫く黙り込んだ。
混血ではあるが、幻洛は覚のアヤカシ。
誰が何を考え、どう話しているかなど幻洛には嫌でもお見通しだった。
故に、あの村娘たちの黄色い声も気付かないはずが無かった。
………ああいうヤツらが、一番苦手だ。
幻洛は心の中で毒づいた。
この万華鏡村に来る前の大昔、若輩者だった自分に興味本位で近づき、掌返しの如く覚の血族であることを罵ったヤツらも同じだった。
所詮、超過した釣り銭など、あのまま頂いても良かっただろう。
だが、仮に過失だったとしても、その釣り銭を見るたびに相手のことが脳裏の蘇ることになると思うと、否応なしに返す以外の選択肢はなかった。
幻洛はスッと息を吸い込んだ。
「あ”〜~~」
「うるっさ…、何よその地割れでも起こしそうな大きなため息…。」
相変わらず、至って冷静に揶揄するふゆは。
それは気を許した者だからこその態度であることを幻洛は理解していた。
まるでどこかのお師匠さまにそっくりだな。
そう思い、幻洛はフッとふゆはに笑みを向けた。
「…ついこんな時間までふゆはを連れ歩いてしまったな、と思ってな。」
そう言う幻洛に、ふゆはも静かに笑った。
「…まあ、そうね、早く帰りましょう。」
ふゆはは和菓子の入った小包を大事そうに抱えながら、幻洛と共にその場を後にした。
頼りがいのあるその背に、遅れを取らぬよう小走りしながら。