【外伝】幻洛と伊丹が出会うまで(前編)
- サバミソ
- 2024年1月27日
- 読了時間: 22分
更新日:2月11日
「あの鍛冶屋の店主、覚(サトリ)なんだとよ。」
「へえ、そりゃあまた…、」
とある日の昼下がり。
過疎化が進み荒れ果てたその村では、いつものように下衆な話に嘲笑う者たちの姿があった。
村の片隅に建てられた小さな鍛冶屋。
それは今にも潰れそうなほどボロボロの外観で、店の前にはガラの悪い男二人が見張りのように立っていた。
「…米三合だ。」
「三合だ~?おいおい店主さんよお、また随分とぼったくるじゃねえか。」
「この刀なら市場でも五、六号相当はする。ぼったくりなどではない。」
たちの悪い客を相手に、店主は呆れ返っていた。
店主の名は幻洛。
この名もなき村で生まれた、混血の覚だ。
長きにわたり一人で鍛冶屋を営み、対価として米を受け取りながら生計を立てている。
通常、対価となるものは金銭が一般的だ。
しかし、この店主、幻洛は覚の血を持つアヤカシであるが故に、差別的な扱いを受け、冷遇されてきた。
対価を米で受け取るというのも、金銭を受け取ったところでろくに食べ物すら買わせてもらえないという理由によるものだった。
故に、その身なりも建物と同じくらいボロボロで、長く重量のある紺桔梗色の髪も酷く乱れていた。
「は~、強気じゃねえか。」
男は人相の悪い顔で幻洛の提示を嘲笑う。
「たかが覚の分際でよお。」
「…。」
男が吐き捨てる毒のある言葉を、幻洛は心を殺しながら聞き流していた。
今更、このような扱いは数え切れないほど受けてきた。
「おーい、早くしろよ。」
「そんなヤツ相手に時間潰してる場合じゃねえぞ~。」
店の外で見張りをしている男たちは、中にいる客の男に荒く催促をする。
「へーへー、わーってるさ。」
「!」
幻洛はふと顔を上げると、鬱陶しそうに返事をする客の男とバチリと目があった。
途端、幻洛の脳裏に良からぬことが写し出される。
「おい、お前まさか…ッ!」
隣町に盗人へ行こうと企んでいるのかーーー
そう言葉を続けようとした幻洛は、咄嗟に口を噤んだ。
「ハハッ!まーた勝手に心読みやがったか、この下衆野郎は。」
「ッ…」
まただ、またやってしまった、と幻洛は酷く後悔する。
覚の主要能力、心を読み取る力というものが、この村で他のアヤカシから嫌われている一番の原因だった。
「覚のくせに無駄に図体だけデカくてよ、どうせ日頃から良いもん食ってんだろ。…ああ、盗み食いでもしてるってか?」
男は嫌悪感に俯く幻洛を面白がるように見下した。
「ほらよ、可哀想な覚さんにお情けだ。ありがたく思えよ?」
そう言うと、男は米一合すらない一握りの袋を乱雑に投げつけた。
外の見張りからは嘲笑う声が聞こえた。
男たちはそのまま、幻洛の鍛冶屋から去っていった。
「…。」
幻洛は時が止まったかのように、暫くその場から動くことが出来なかった。
米の入った袋が、虚しさを表すようにポツンと落ちていた。
もう、ここに居続ける義理は無いのかもしれない。
ここで飢え死ぬくらいなら、最期に、この心を共有できる者と出会いたい。
虚ろのまま、幻洛はふらりと立ち上がる。
胸の奥が、まるで凍りついたように冷たく感じた。
幻洛は長年愛用している薙刀だけを手に取り、鍛冶屋の外へ出た。
そのまま、幻洛は鍛冶屋を振り返ることもなく、衝動のまま歩みを進め、静かに村を去っていった。
………
幻洛が村を出てから数日後。
長い竹林の広がるその場所は、チラリチラリと雪が降り始め、辺りは白銀の世界へと姿を変えていった。
もう何日、食事を摂っていないだろうか。
最後に受け取った米も、結局手を付けず、鍛冶屋にそのまま置いてきた。
なんとも罰当たりな行為だろう。
それでも、その米を見るたびに、あの盗人達が訪れた光景が脳裏で蘇り、食欲など到底湧くことはなかったのだ。
「…。」
随分と遠くまで来たものだ。
自分が今、どこにいるのかはわからないが、かつての村から確実に遠ざかっていることは実感できた。
もうじき日が沈む頃なのか、辺りは薄暗さに包まれていた。
また何処かで、寝られる場所を確保しなければならない。
「ッ…」
ふらり、と幻洛の足がおぼつき、何日も洗っていないゴワゴワした長髪が顔にかかる。
この寒さと、空腹の限界なのだろうか、視界がボヤける。
それでも、不思議と食欲など沸かず、感覚が麻痺していた。
長時間握りしめていた薙刀を離しかけた瞬間、その声は竹林に鳴り響いた。
ギェアアアアアッーーー!!
「!?」
この先の方角からだろうか。
甲高い声のようなものが、幻洛の耳を突き刺した。
アアアアアアッーーー!!
何度も繰り返し聞こえるその声に、ただ事ではないと察した幻洛は、離しかけた薙刀を握り締め、声の元へと急行した。
「…!!」
幻洛がたどり着いたそこには、長い腕が四本生えた禍々しい姿の怪異と、狩衣姿で包帯を巻いた柳緑色の髪の妖狐が対峙していた。
「う、ぐ…!」
圧倒的な力の差でその妖狐は押されており、もはや怪異の攻撃を錫杖で防ぐだけで精一杯、といった様子だった。
このままでは、おそらく彼は命を落とすことになるだろう。
助太刀しないところで、自分には関係のない出来事だっただろう。
それでも、この妖狐の帰りを待つ者がいるかもしれない。
「…チッ」
深く考える間もなく、幻洛はその妖狐に向かって地面を蹴った。
怪異が離れた隙に、幻洛は妖狐の盾になるように踏み込んだ。
「あっ…!」
「下がってろ。」
そう言うと、幻洛はその黄金色の目でギラリと怪異を睨みつけ、持ち前の薙刀の穂先を向ける。
「ア”アアアアアッ!!」
幻洛の乱入に激昂した怪異は、そのまま狂ったように幻洛へと突っ込んでくる。
「…!」
腕四本を広げながらこちらを捕まえようとする怪異に、幻洛はその腕を蹴りながら登り、隙間から宙に舞う。
幻洛は高らかに薙刀を振り上げると、そのまま落ちる勢いで、怪異の胴体を容赦なく引き裂いた。
「ギア”アアア!!ア”ア”…!!ア”、アア…ッ」
ドパッと血飛沫を上げながら身体を真っ二つに斬られた怪異は、残った神経で蠢き奇声を上げるも、次第にそのまま静かになっていった。
静けさを取り戻したその場所は、白銀の雪の上に怪異の亡骸と真っ赤な血が無惨に広がっていた。
「…。」
幻洛は無言のまま、チラリと妖狐に目を向けた。
その妖狐は、唖然とした表情で幻洛を見ていた。
目の前に現れた男が覚だったなど、この妖狐にも、さぞ軽蔑されるのだろうな。
怪異の返り血を浴びた幻洛はそう思っていた。
今更、誰かに軽蔑されるなど慣れた事だ。
どんな善意を行ったとしても、所詮、自分はその程度のアヤカシなのだから。
幻洛は何も言わず、その場を去ろうと足を進める。
「あ!ま、待って下さい…!」
突然、幻洛はその妖狐に腕を掴まれた。
その手は、まるで氷のように冷たかった。
「…。」
幻洛はその手を振り払うことなく、妖狐を見つめた。
大きな怪我をしたのだろうか、その妖狐は身体中に包帯が巻かれていた。
右目もまた包帯で覆われており、そして瑠璃色の左目は、まるで深海のように蒼く、そのまま暗闇に引き込まれそうなほどで…
とても、綺麗だった。
「助けていただきありがとうございました。」
その妖狐は軽くお辞儀をすると、再び幻洛を見つめた。
「………当たり前のことをしたまでだ…。」
幻洛は目を逸らし、軽く受け流そうとすると、妖狐は掴んだ手に力を込めた。
「あの!お礼をさせてください…!」
妖狐は必死に幻洛を引き止めた。
それはまるで、何かを悲願するようだった。
「…。」
「…あ、…。」
幻洛が無言のままでいると、妖狐は少し気まずそうに狐耳を下げ、掴んだ手をスルリと離そうとした。
「………まあ、構わんが…、」
「!」
その一言に、妖狐はパッと顔を上げ、再び幻洛の手をギュッと掴んだ。
なんとも変わった妖狐だ。
今更、急いで行くような場所も無い。
少しくらい、この妖狐に付き合っても良いだろう。
幻洛はそう思いながら、妖狐に連れられながらその場を後にした。
………
すっかり暗くなり、降り積もった雪が周囲の僅かな光を反射していた。
妖狐に連れられた幻洛は、大層立派な神社へとたどり着いた。
そしてそのまま、神社の裏に併設された大きな屋敷へと連れられていった。
「あ、伊丹、おかえり…、!」
「!」
妖狐と共にその屋敷へ上がると、また別の、藤色の髪をした女の妖狐の姿があった。
少女は幻洛を一目見るなり、驚きのあまり言葉を詰まらせていた。
幻洛はその妖狐とも目を合わせず、無言のまま下を向いていた。
ばさり、と紺桔梗色の長髪が顔にかかるも、幻洛は気に留める様子すら無かった。
「ただいま戻りました、ふゆはさん。…帰ってきて早々すみませんが、少し客間に居ますね。」
「え、ええ…。」
妖狐の会話を聞き流しながら、幻洛は再び手を引かれながら別の部屋へと向かっていった。
「どうぞ、こちらにお入り下さい。」
「…。」
案内されたその部屋で、幻洛は無言で下を向いたまま卓袱台の前に腰を下ろした。
妖狐は幻洛の向かいに腰を下ろすと、コホンと軽く咳払いをした。
「…改めまして、この度は命をお救いくださりありがとうございました。僕はこの万華鏡神社の神主、および村の陰陽師を務める伊丹と申します。」
妖狐、すなわち伊丹は深々と頭を下げ、先の件の礼を述べつつ自己紹介をした。
「…。」
「…あの、お名前は…、なんとお呼びすれば…?」
伊丹は心配そうに、俯いたままの幻洛に優しく声をかけた。
「………幻洛、だ…。」
ようやく言葉を発した幻洛は、伊丹と目を合わせず、呟くように答えた。
「幻洛さん、ですね。幻洛さんも、この万華鏡村にお住まいなのですか?」
「………いや、俺は…。」
「?」
先ほどの力強い戦い方からは想像できないほど幾度も言葉を詰まらせる幻洛に、伊丹は不思議そうに疑問符を浮かべた。
「…すまない、少々訳ありで、色々と放浪しているところだ…。」
「…なるほど…。」
一向に目を合わせず、なんとも苦しそうな言い方に、伊丹はそれ以上追求しようとはしなかった。
「…先ほど対峙していた怪異は…一体何なんだ…?」
「あれは…、」
伏せ目のままの幻洛からの問いに、伊丹はゆっくりと口を開いた。
「あれは『邪狂霊(ジャキョウレイ)』と呼ばれる怪異です。…特に、先ほどのものは異形化した類ですね。」
そのまま伊丹は話を進めた。
「死ぬ間際となった者が、妬み、憎しみ、悲しみ、恨みなど、強い負の感情を持ち合わせていると、魂が撹乱し、あのような姿へと変貌するのです。彼らは数少なくも偶発的に現れ、生きる者への執念を晴らすために彷徨い続ける…。生きることも、死にきることも出来ない、とても哀れな存在です…。」
一通り邪狂霊について話し終えると、辺りはしんと沈黙に包まれた。
幻洛の問いの理由を、伊丹は不思議そうに尋ねた。
「…あの、幻洛さんの村には、そういう存在は居なかったのですか?」
「………ああいう怪異は初めて見た。…俺が外の世界に興味がないせいで、気付いていなかっただけなのかもしれないが…。」
「…。」
酷く自己評価の低い幻洛に、伊丹は深く疑問を感じた。
邪狂霊を、しかも異形化したものに初めて遭遇し討伐したというのに、何故、彼の心はこうも弱ってしまったのか。
「…その隈取りは…もしかして覚ですか…?」
「!」
伊丹がそう言うと、幻洛はハッとしたように顔を背けた。
「…ッ、一応、俺は混血なのだが…すまない…。」
「え…本当にそうなのですか…!?」
幻洛の消え入りそうな詫びの言葉を気にする様子もなく、伊丹は好奇心のまま身を乗り出した。
「あっ…取り乱してすみません。…この万華鏡村には覚のアヤカシが居ないので、少し舞い上がってしまいました。」
自分の軽はずみな行動を恥じるように、伊丹はコホンと咳払いをした。
「…そう、か…。」
そう言う伊丹に、幻洛もまた不思議そうにチラリと目をやった。
幻洛は覚の血族であることに、また軽蔑されるものだと思っていた。
それでもこの妖狐、伊丹は気にすることもなく、この村に覚のアヤカシが居ないという理由からから、とても好奇心に満ち溢れている様子だった。
「…あの、幻洛さんの言う”訳あり”の内容を聞かせてもらえますか…?」
伊丹は不安そうに、引き続き幻洛に尋ねた。
「もし、何かに苦しめられているなら、助けになれるかと思い…。」
今までにない、命を救ってくれた恩人だ。
彼にお礼ができるならば、出来る限りを尽くしたい。
伊丹はそう思っていた。
伊丹の問いに、幻洛はゆっくりと口を開いた。
「…この村には、俺のような覚のアヤカシは居ないと言ったな…?」
「はい。」
「お前、…伊丹は、覚の血族が冷遇されている事例を知っているのか…?」
「…え?」
幻洛の言葉に、伊丹は疑問符を浮かべた。
「…すみません、僕は存じ上げず…。そもそもこの村では特定の種族を蔑むことは許されていないので。」
伊丹はそうはっきりと幻洛に告げた。
たとえどのような種族であっても、理不尽な差別的行動をもたらした場合は罰を下されるというのだ。
「…そう、なのか…。」
かつての村では考えられなかったその制度に、幻洛はとても関心を持っていた。
「…幻洛さんは、酷い目に遭って故郷を離れた、…ということでしょうか?」
伊丹は核心を突くように質問した。
そんな伊丹の問いに、幻洛はうつむきながら小さく頷いた。
幻洛は重たい口を開き、これまでの経緯を伊丹に伝えた。
「………俺がこの世に生を受ける前のはるか昔、かつて居た村では、覚のアヤカシたちが頂点に居た。その者たちが心を読む能力を悪用し、村民の権力を奪い、独裁していった。…そして、いつしか権力は逆転し、俺が生まれた頃には”覚は良からぬアヤカシ”という風習が深く根付いていた…。」
幻洛は辛い気持ちを堪えるように、なんとか言葉を絞り出した。
「…何度も命を狙われた。そして、共に居た親という存在も、いつの日か姿を消していた。…独り生き延びた俺は、幼い頃から生きる術を身につけるため、知らぬ者の残飯を必死に食い探しながら知力や武力を学んできた。…心身ともに恐怖に縛られ、その場から逃げるなど思うことすら出来ず、幾度も刺客を殺してきた。ただ、ひたすら文武を学んできた甲斐あってか、命を狙われることは減った上、村の端くれで鍛冶屋を営む許可も降り、そこで静かに暮らしてきた…。」
幻洛は感極まる心を落ち着かせるように、深く呼吸をした。
「…とはいえ、力で俺に勝てないとわかった連中は、言葉…で、…」
幻洛は言葉を詰まらせ、グッと口を噤んだ。
あの頃の光景が再び脳裏で蘇り、幻洛の思考を支配する。
「………そんなことがあったとは…。」
あまりにも凄絶すぎる過去に、伊丹は彼を励ます言葉すら出てこなかった。
「…辛いことを思い出させてしまってすみません。…言ってくれて、ありがとうございます。」
せめてもの思いで、伊丹は幻洛に礼を告げた。
彼の心に負った傷は、想像を絶するほど深いものなのだろう。
そして、おそらく彼はこの先も、深い心の傷を負ったまま生きることになるのだろう。
暫くの間、長い沈黙が続いた。
「あの、幻洛さん。」
先に沈黙を破ったのは伊丹だった。
「もし行く宛が無ければ、この万華鏡村に…僕の屋敷に住みませんか?」
「!」
予想もしなかった言葉に、幻洛は驚きながらもゆっくりと顔を上げた。
誰か、この心を共有できる者と出会いたい。
もしかしたら、この妖狐が”その者”なのかもしれない。
もう、行く宛もなく彷徨い続けたくない。
けれど、だめだ。
信用できない、全てが、嘘なのかもしれない。
幻洛は伊丹と目を合わすと、そそくさに顔を背けた。
「…その気持ちは有り難いが、まだ会ったばかりのヤツを住まわせるなど…、」
幻洛は伊丹の提案を断ろうとーーー
ぐ〜
「!!」
突然、幻洛の腹の虫が鳴り、その大きな音に伊丹もまたハッとした。
かつての村を出てから数日、幻洛はほとんど何も食べていないことを思い出した。
「あ、少しお待ち下さい。」
そんな幻洛を察してか、伊丹はスッと立ち上がると客間から出ていってしまった。
「…。」
誰も居なくなった客間で、幻洛は頭を抱えた。
何故こうも大事なときに間の抜けたことをやらかすのか。
幻洛は深いため息をついた。
そうこうしているうちに、伊丹は盆に食べ物を乗せて戻ってきた。
「お待たせしました。…即席で作った握り飯と残っていたおかずですが、もしよければ…。」
そこには、大きな握り飯をはじめ、具沢山の味噌汁や煮物が綺麗に並べられていた。
「………あ、ああ…、いただこう…。」
初めて感じる美味そうな匂いに、本能を刺激された幻洛は自然と手を伸ばした。
幻洛はそのままぱくり、と握り飯を一口食べた。
うまい。
これほどまでに美味い握り飯を食ったことがあっただろうか。
かつての村で食べていた米とはまるで別物だ。
否、それだけではない。
不思議と心が軽くなるような気がした。
これまでの食欲の無さが嘘だったかのように、幻洛は全ての料理を残すことなく綺麗に完食した。
その場で礼の言葉は出せなかったものの、幻洛は箸を置くと軽く頭を下げた。
「…一先ず、今日はここに泊まらせてもらえるならありがたい…。」
外は極寒で、既に暗闇に包まれている。
今更どこかで寝床を探すのであれば、このまま伊丹の好意に頼る方が賢明だろう。
「…ただ、この先ここに居座るのかは、…少し、考える時間をくれないか?」
「…ええ、勿論ですよ…。」
断ろうとしていた回答を保留とし、幻洛は少しだけの猶予を伊丹から貰った。
そして伊丹もまた、決断を強いることなく、快く全てを幻洛に委ねた。
………
「…と、言うことで、幻洛さんのこと、よろしくお願いしますね。」
突然の客を泊めることとなり、伊丹はこれまでの幻洛を話を交え、藤色の髪を持つ妖狐に紹介した。
「…。」
伊丹から幻洛の話を聞いた妖狐は、しばらく唖然とした後、ハッと我に返った。
「私はふゆは。伊丹と同じ万華鏡神社に務めている巫女よ。」
妖狐、ふゆはは淡々と自らのことを話した。
「…突然泊まることになってしまってすまない…、よろしく頼む…。」
幻洛は伊丹に胸の内を明かしたせいか、はたまた空腹を満たしたせいか、少しばかり心に余裕が生まれていた。
先ほどのように俯くこともなく、幻洛はできる限りふゆはの方を向き対話した。
「伊丹のこと、助けてくれたのでしょう?私からもお礼を言うわ。本当に、ありがとう…。」
「…。」
淡々と話すふゆはに、幻洛はどう返答すれば良いかわからなかった。
「あ、ごめんなさい、…あまり感情を表に出すのが苦手で…。でも、本当に感謝しているの。」
そんな幻洛を察したのか、ふゆはは慌てて弁解した。
「突然泊まるのは正直驚いたけれど、伊丹を助けてくれたアヤカシだし、何より伊丹が信頼しているのであれば、私も拒む理由は無いわ。」
ふゆはは幻洛に慣れない笑みを向けた。
「…随分と、伊丹を信頼しているんだな…。」
「そうね。伊丹とは物心が付いた頃から一緒にいるから。…私の知らない”親”と同じくらい大切な存在なの。」
「親と同じ…?」
ふゆはの言葉に、幻洛は疑問符を浮かべた。
「ふゆはさんは僕の弟子であり、養女でもあるのです。…彼女がまだ幼い頃、御祖父母から彼女を引き取って…、」
ふゆはの話を補足するように、彼女の傍らに座る伊丹はそう呟いた。
「父は私が生まれる前に戦死、母は私が生まれて間も無く病死しているの。…だから、本当の親という存在の記憶が、私には無いの…。」
ふゆはは表情を曇らせながら話を続けた。
「………貴方が居なかったら、伊丹は帰ってこられなかったと思うと…、…っ」
たまらず、ふゆはは言葉を詰まらせ、一雫の涙を零した。
彼女にとって伊丹は、唯一無二の存在なのだ。
「本当に、幻洛さんには感謝しています。」
感極まるふゆはを落ち着かせるように肩を摩りながら、伊丹は再び幻洛に礼を言った。
その光景は、まるで本当の親子のようだった。
ふゆはは幼子ではないが、まだ大人でもない年頃なのだろう。
そんな彼女を独り置いて伊丹は邪狂霊と対峙していたのだと思うと、幻洛はあの時、伊丹を助けて良かったと感じていた。
「…あの、幻洛はこの先どうするの?…明日は、もう出ていってしまうの…?」
「…。」
ふゆはは涙を拭いながら質問するも、幻洛はその問いに答えることができなかった。
「…ふゆはさん、まだ彼は来たばかりですし、とりあえず今日は休ませてあげましょう?」
そんな幻洛を察した伊丹は、すかさずその話を切り上げさせた。
「あ、ごめんなさい。私、変なこと言ってしまったようで…。」
「…いや、気にするな…。」
今聞くべきではないことを口走ってしまったふゆはは、気まずそうに幻洛と伊丹に詫びた。
そして幻洛も、率直に答えられない自分に非があると言わんばかりにふゆはを宥めた。
少し寄り道するだけですぐ去ろうと思っていた。
それなのに、何故か心がざわつき、その判断を鈍らせる。
ここを離れれば酷く後悔することになるだろう。
とはいえ、覚である自分が居座り続けることで、この妖狐たちに迷惑をかけてしまう。
幻洛の頭の中は、混沌と渦巻いていた。
………
ふゆはへの挨拶を終えた幻洛は、伊丹に風呂へと案内されていた。
何日もの放浪で身体は汚れ、何より、先ほどの戦いで返り血も浴びているのだ。
必ず風呂には入れなければならないと、伊丹も考慮したのだろう。
「こちらがお風呂になります。」
脱衣所から戸を開けると、そこには広々とした大浴場があった。
外には露天風呂もあり、白濁りした湯は浴槽から溢れるほど滾々と湧き出ていた。
「…ずいぶんと…広いな…。」
初めて見る光景に、幻洛は暫く唖然としていた。
かつて自分が住んでいた小屋の、冷たく狭く暗い風呂場とは比べ物にならないほどだった。
「この湯は万華鏡村自慢の源泉掛け流しなので、ぜひごゆっくりお寛ぎ下さいね。」
驚く幻洛をよそに、伊丹はニコッと笑みを向けた。
「…あ、お着物も必要ですよね。今、お持ちしますね。」
伊丹はそう呟くと、足早に風呂場から出ていった。
「…。」
残された幻洛は、とりあえず風呂に入るべく服を脱いでいった。
幻洛は改めて、今日の出来事を振り返っていた。
ーーー万華鏡村、初めて聞く村の名前だ。
それほど、俺は遠くまで歩いてきたというのだろうか。
この先、俺はどうするべきなのか。
行く宛が無ければ、ここに住まないかと伊丹は言っていた。
そして、ふゆはもまた、明日俺が去るのかを気にかけていた。
『そもそもこの村では特定の種族を蔑むことは許されていないので。』
もし、伊丹の言うことが正しいのであれば、俺は、本当に、ここに居ても良いのだろうかーーー
「お待たせしまし、…!」
風呂場に戻ってきた伊丹は、目の前の光景に言葉を失った。
紺桔梗色の長髪を掻き分け、疲れ切った表情で伏せられた黄金色の目。
服を脱いだ上半身から見える、逞しく鍛え上げられた身体。
その広い背に刻まれた、これまでの凄絶な過去を物語る大きな傷跡。
あまりにも、圧倒的すぎる雄の風格だった。
「…ん?ああ、すまない。」
固まる伊丹を気に留めることもなく、幻洛はそのまま着物を受け取った。
途端に、伊丹はこれまでの冷静さとは打って変わって、顔を赤くしながら困ったように目を背けた。
「あ、いえ、その…っ、…寝室のご用意が出来ず、先ほどの客間に寝床を準備しますので、上がったらいらしてくださいね。お召し物は式神が洗濯するのでそのまま置いておいて下さい。どうぞごゆっくり…。」
「?…あ、ああ。」
まるで何かに焦っている様子の伊丹は、早口で要件を伝えると、そのまま逃げるように風呂場から出ていってしまった。
「…。」
何か、気に障るようなことをしてしまったのだろうか。
原因のわからない幻洛は、身につけているもの全てを脱ぐと、そのまま温かな湯へとつかりに行った。
………
「…あ、お疲れ様です。少しは気分転換出来ましたか?」
風呂から上がった幻洛は着物に着替え、そのまま客間へ戻ると伊丹の姿があった。
先ほどの慌ただしい様子は幻だったのか、落ち着いた表情で幻洛へ笑みを向けた。
幻洛は卓袱台の前に腰を下ろし、伊丹の向かいに座り込んだ。
「…ああ、お陰様でな…。」
「それは何よりです。」
幻洛にとっては初めての長湯だった。
そもそも、風呂というものがこれほどまで心地よいものとは知らなかったのだ。
まるで、心の汚れまでも洗い流されるような感覚だった。
「…寝床も着物も、ありあわせのものしかなくてすみません。」
伊丹の傍らには、白い布団が綺麗に敷かれていた。
「…。」
「…幻洛さん…?」
座ったまま無言でぼんやりとしている幻洛に、伊丹は再び声をかけた。
「あ、ああ、…すまない、上の空だった…。」
問いかけに気付いた幻洛は、ハッと我に返った。
幻洛は自らの思いをポツリと呟く。
「………ここに居続けるべきか、去るべきなのか、…自分で時間をくれと言いつつ、なかなか答えが導き出せなくてな…。」
揺らぐ思いに困り果てるように、幻洛は俯き、頭を抱えた。
風呂から上がったばかりの、少し濡れて束になった紺桔梗色の長髪が、パラリと幻洛の顔にかかる。
「…焦らなくても大丈夫ですよ。…僕から追い出すなんて、そんなこと絶対にしませんから…。」
伊丹は幻洛を安心させるように優しく呟いた。
ふわりとした笑顔で言葉を告げたものの、その表情はどこか悲しそうでもあった。
伊丹は次いで何かを言おうとするも、グッと口を噤んだ。
「…優柔不断ですまない…。」
「…。」
自分の情けなさを毒づくように、幻洛は悲しそうにフッと笑った。
そんな幻洛の様子に、伊丹は絞り出すように話を続けた。
「…あの、幻洛さんともう少しお話したいのですが、大丈夫ですか…?」
先ほどは少々慌ただしかったですし、と伊丹は付け加える。
「…ああ。」
幻洛はそう短く返事をすると、黄金色の目を伊丹に向けた。
心を読まないように、慎重に。
「幻洛さんは、混血の覚、なのですよね…?」
「………ああ。」
「他には、どんなアヤカシの血族なのですか…?」
「…。」
伊丹のその問いに、幻洛は言葉を詰まらせた。
「…すまない、それは…、言うことが出来ない…。」
あまり都合の良くない思いが錯乱し、幻洛は口を噤んだ。
「…自分が何者なのか、わかってはいるが、わかっていない部分がある…。」
幻洛は抽象的な言い回しをし、苦渋の表情で下を向いた。
「ただ、この隈取りがあるとおり、覚の血が一番濃いということは言える…。」
そう言うと、幻洛は再び伊丹へと目をやった。
幻洛の言う通り、身体の半分以上に覚の血を持つと、隈取りが現れるのだ。
「…では幻洛さんは、僕や、他者の心が読めるんですね…?」
「………す、すまない、…読まないようには…心がけている…。」
伊丹の言葉に、幻洛はまたしても下を向いてしまった。
誰かの心を読むということは、幻洛にとって良い思いが無かったのだ。
「…もう誰も、不快な思いをさせたくない。…”あいつら”と、同じにはなりたくない…。」
それは能力を悪用し、独裁していった者たちのことだった。
「…。」
自己嫌悪に陥る幻洛に、伊丹は思いの丈を打ち明けるように口を開いた。
「…でも、僕は好きですよ、貴方の能力。」
「!?」
その言葉に、幻洛は思わずハッと顔を上げた。
幻洛の目に写る伊丹は、偽りのない笑顔だった。
「もちろん、過去に能力を乱用した者たちには僕も賛成できません。…でも、幻洛さんのように、心の優しいアヤカシもいる…。」
伊丹は言葉で幻洛を包み込むように優しく伝えた。
「………もし、僕がその能力を使えたら、幻洛さんの心の苦しみを、取り除いてあげられるのかな…。」
伊丹は幻洛から視線を外し、物思いにふけるようにポツリと呟いた。
「…。」
「!」
呆気にとられる幻洛に、今度は伊丹がハッとした。
「と、とにかく、そんなに自分を蔑む必要はありませんよ。元よりこの村はそんな賤しい風習もありませんし。」
気まずい空気を入れ替えるように、伊丹はつらつらと早口で弁解した。
「…過去を忘れろなんて無責任なことは言いません。でも、幻洛さんがここに居てくれる限り、少しでも心穏やかに暮らせるよう僕も尽力しますね。」
「…あ、ああ、すまない。…何から何まで世話になってしまうな…。」
「命を救ってくれたのですから、当然ですよ。」
申し訳無さそうな幻洛に、伊丹は安心させるように優しい笑顔を向けた。
さて、と伊丹はスッと立ち上がる。
「…思わず長居してしまいましたね。僕はこの辺で失礼しますね。…どうぞごゆっくりお休みください、幻洛さん。」
伊丹は柔らかな笑みを幻洛に向けた。
「…ああ、おやすみ…。」
客間から静かに出ていく伊丹の背を、幻洛も静かに見送っていった。
トン、と軽い音を立てて客間の襖が閉められる。
残された幻洛は、客間に敷かれた白い布団へと身を移した。
ごろ寝や野宿が当たり前だった故に、このような敷物はとても新鮮だった。
「…。」
何故だろうか、心地良くも妙に落ち着くことができなかった。
日々の疲れと、慣れない環境のせいだろうか。
否、それよりもーーー
『僕は好きですよ、貴方の能力。』
ーーー伊丹の偽りなき笑顔と言葉が、何かのわずらいのように心を揺れ動かしていた。